お願い事は高く付く,
犠牲にならない為の五つの原則
Ⅰ 自分という素材をどうみがくか その6-2
初めの「代わってもらう...」は、他人に利用されやすい自分になってしまう。その危険を孕んでいるそうだ。一般的に、何かしらお願い事をする事は、いつしかその対価を支払うべき時が必ずやってくるものだ。
抑々、不用意に「お願い事」をし続ける人生等存在すべきではないと思う。かつて、とても親切な人物を観察する機会があった。
過去に沢山の恩を受けた。成功して、恩を返せるだけの自分になれた。でも、目の前にその恩人達はいない。だから、その恩を返しているのだ。十数年後、彼が手掛けるコンテンツでその様にカミングアウトしていたのだ。
♢「巻頭」で、"自分の時代(ウェイン・W・ダイアー氏著, 渡部昇一氏訳)"の書評を掲載中です。♢
☆★☆━━━━━━━第159回<<
『ブレイク・マンデー(^^♪』
※ 週の始まりを明るく向かえましょう。※
今週も清々しい気持ちと共に、
「目覚めの一曲」を
ご紹介いたします。
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『割符と女夫』
「割符」は木片や竹辺等に文字や印(しるし)を記載した物で、二つに割って使います。日本の「為替」の起源で、鎌倉時代頃に登場します。荘園から年貢を送る手間を省く為に用いられたのが事の始まりの様です(wiki.)。
実態を伴う「物」の移動って、「劣化」「損失」「盗難」等様々なリスクを伴いますよネ(>_<) 読み方が色々あって、「わりふ」「さいふ」「わっぷ」です。
決済は発行者に「割符」で換金を求め、お金を受け取る事ができます。「割符」は後で二つを合わせて真偽の確認をする為に、発行者と相手先が其々別々に所有します。...ちょっぴり、頭がクラクラしそうです(^^;
最近、著名なアートディレクターの本を手にしました。ブランディングにとても長けているので注目。クライアントの見えざる「意志」を体現化するのがとても得意です。
また、その方の奥様が著わした本が最高でした。「割符」を想像してしまいました(*^-^*) 実は、何かしら創造する活動を営む行為とは、浮世離れした思考をする傾向があるみたいなのです。創造の過程で、自分の世界に埋没するからです。
例えば、クライアントの近況を知らずにプロジェクトを進めるのはほゞ不可能なのだそうです。それにも拘らず、集中している時は情報整理等にその労力を割いている時間的な余裕など皆無。
そこには見えざる「溝」や「隔たり」が存在します。その関係やバランスは「相克」其の物。何と! 奥様がその「溝」を埋めているのです。大変な労力と精神力が求められるはずです。正しく、其処に喜びを感じるのでしょうネ。
さて、今週の『ブレイクマンデー(^^♪』は野々村彩乃さんが歌う「里の秋」です。遠く離れた家族を思い、無事である事を願う歌です。皇紀2605年(昭和20年)、とある番組で紹介されました。後に、「復員だより」のテーマソングとして大ヒットします。
ところで、貴方の初体験は如何でしたか!? 勿論、ソブラノ体験です。とあるお食事会での事、目の前でソプラノ歌手が歌い始めました。お腹の中まで響きましたヨ。腸(はらわた)にしみるのはお酒だけじゃないみたいですネ(^^;
「里の秋」
歌・野々村彩乃氏
作詞・斎藤信夫氏
作曲・海沼實氏
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https://youtu.be/6PGjFz5p8OM
歌詞: ref. マツモト管楽器工房
☆★☆━━━━━━━第149回<<
「歴史書古事記全訳」武光誠(たけみつまこと)氏著
「上巻 大国主神の国作り」を読みました。
『週に一度、行きつけの喫茶店で
古事記の読書と内容をまとめています。』
※ 毎週月曜日早朝更新予定です ※
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『稲羽の素兎』
㉛兎さん、何故泣いるの?《その11》
《あらすじ》
大国主命(大穴牟遲の神)と菟とのやり取り、「対話」のシーンから「ワニサメ論争」への「寄り道」。大国主命のお兄様方(八十神)のアドバイスに大変な目にあわされた菟(うさぎ)さんでした。八十神の去った後、大国主命が登場しました。最近、ちょっと寄り道して「ワニサメ論争」をお話しています。今回も「ワニが存在するか否か」の論点。その続きです。
『最後(いやはて)に來(き)ませる大穴牟遲の神(おほなむぢのかみ)、其(そ)の菟(うさぎ)を見て、「何故(なぞも)、汝泣(いましな)き伏(ふ)せる。」と問ひ給うに、』
『菟答言(うさぎまを)さく「僕(あれ)、 游岐の島(おきのしま)に在(あ)りて、此の地(このくに)に渡(わた)らまく欲(ほ)りつれども、渡(わた)らん因(よし)なかりし故(ゆゑ)に、』
『海の鰐(和邇,わに)を欺(あざむ)きて、言(い)ひけらく、吾(あ)と汝(いまし)と、族(ともがら)の多き少きを競(くら)べてむ...』
(現代語訳はこちらから▶ https://shiwaku01.amebaownd.com/posts/6604008 )
次に、文献にエビデンスを求めてみました。本居宣長氏が著わした古事記傳(古事記伝(三) [岩波文庫], pp.67)に、辞書「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」からの引用を用いて、「鰐」について解説されている件が登場します。つまり、既に平安時代に於いて「鰐」の存在が爬虫類として認識されていたのです。
「和名類聚抄」は平安時代中期・承平年間(931-938年)に、後醍醐天皇陛下の第五皇女・勤子内親王(きんし, いそこないしんのう)殿下の求めを受けた源順(みなもとのしたごう)氏が編纂。我が国初の分類体辞典で、略称を和名抄(わみょうしょう)として親しまれています。
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「古事記」にまつわるお話。
~好奇心の物実~
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『雪混じりの砂』
㉙御製と別れの盃《その7》
『戦(たたかひ)にやぶれしあとのいまもなほ
民のよりきてここに草とる』
昭和天皇陛下 御製
子を思う優しさと、激しい気性を兼ね備えた母を持つ孟子。その孟子の言葉が発した「草莽」。正しく、終戦間もなく皇居勤労奉仕に携わった方々には、「草莽」の言霊が宿っていたに違いありません。
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